命を喜べる自分になれた(鬱話注意)

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すっごくどうでもいいことなんですけどね。

 

私って親嫌いじゃないですか。(←)

きょうだいのことも嫌いで。

 

何故かというと、家族そろって私を都合よく利用したり、私とちゃんとコミュニケーションをとらないで勝手に色々決めつけたりされて育ったからです。

まぁ、ご飯が貰えないとか下着を買ってもらえないとか手を上げられるとかは無かったんですけど。

あ、一度母親のワガママで手は上がりましたね。

あとセンスが昭和で止まってるような服(おさがりとか)しかもらえなかったなぁ。平成も10年は過ぎているというのに。

体育がある日は学校指定の体操着で登校できるのでとても嬉しかったです。体育自体は好きじゃなかったけど、そのおかげでとても助かってた。

 

 

むしろ私が家族にイライラし過ぎて手を上げそうになったりする日々でした。

見下してるの分かるんだよ。

学校の図画工作で絵を描くとき、紙の下に敷く“画版(がばん)”ってあったじゃないですか。大きいけど、厚さはそんなにない。

あれを振り上げて、勢いよく頭にぶつけてやりたい衝動に駆られて、実行しようとしたことあります。

衝動と書くと「瞬間的にカッとなって」って感じですけど

その時は、その時間は、ずっと年上のきょうだいにネチネチされて、溜めて溜めて溜めて、

「もうダメだ」

「もうこのままではいられない」

「いっそ暴れてやる、壊してやる、もう知らない」

と、けっこう時間をかけて考えた結果でしたがね。

 

でもダメでしたよぉ。

勢いよくぶつけるまでが計画だったのに、いざ頭と近くなると手が緩んじゃって。

たいして痛い目みせられませんでした。

今でもたまに思い出しては

「あの時、ちゃんと全身の体重を込めてぶちかましておけばよかった」

と思います。

しかしこのきょうだいは日頃から勝手に私のチャリで通学し、見通しの悪い交差点で左右を確認せず サーッ と行く癖があったので、見事に車に撥ねられておりました(^▽^)

もちろん「自転車壊してごめん」なんて言葉は聞きませんでしたよ。

親も「じゃあ新しいの買うか」程度でね、私の物が悪意ある他人(=きょうだい)によって壊されたことに関するケアやなんかはまったくありませんでした。

親は私のこと、自分の人生を人並みに取り繕うためのアクセサリーとしか思ってないのです(^-^)

 

 

そして私は“家族嫌い”から“人間嫌い”に進化しました。

『見捨てられ不安』があったので愛想はよく、友達は多いけど深くは付き合えない子供になりました。

いい大人になった今は、「友達」と呼べる人は数人の、人間嫌いです。

恋心もどこかに忘れてきました。(恋人はいますが)

 

子供も嫌いです。大嫌いです。

合理的・理性的でない人間なんて、ただの肉の固まりだと思ってます( ^^)v

 

私が好きなのは

何か良いことあって嬉しく思うのは

ワタシ自身、だけでした。

 

 

 

しかしハムスターは可愛い。

うちの子は私と似て基本ハウスの中に引きこもってるんですけど、中でもぞもぞ動くと、巣材がガサゴソ鳴って、その音を聞くと胸がじんわりあったかくなります。

私に危害を加えない同居人(人じゃないけど)なんて初めてで、もう嬉しくて嬉しくて。

しかもこんなに愛らしい。

この子の命のおかげで、私は心に潤いを持てます。

本当にこの子と出会えて良かったなぁと思えます。

この子をうちに迎えると決めた自分を褒めたい。

ずーっとずっと大切に育てます。

 

もしこの子が死んでしまったら私はどうなってしまうのかとちょっと怖い。

でもまぁいいか。

持ち物少ないし、適当な親族が適当に処分してくれるでしょう。

昔飼ってたハムたちにも会えたらいいなぁ。

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