心屋とバンジーと盲目信者。「神社ミッション」は「信者ミッション」。







長いので目次を活用してください。

はじめに

近頃【心屋】が話題になっていますね。

この記事では、【心屋】とは「カウンセラー」という肩書きを名乗る心屋仁之助さん(芸名みたいなもの)の手法や界隈など色々ひっくるめた総称、とします。

単に苗字の呼び捨てという意味で使う場合も多いですけどね。

 

恥ずかしながら、信者だったことがあります。

どっぷりではなく、1~2年はブログやポッドキャスト、図書館で本を借りたりして無料で触れていて、最後の数ヶ月間だけ有料会員でした。

(退会した時のことも記事にしたいなぁ)

その時のイタイ経験をスマホのメモに残していたので、以下に公開します。

 

初めての1万円ミッション

私が前の会社を辞める前。

地元に戻って冷静になり、それでも気持ちが変わらなければ正式に退職しようと帰省した。

おばあちゃんがお小遣いをくれた。

その1万円を、私は【神社ミッション】に使った。

 

神社ミッション(一万円ミッション)とは

心屋仁之助さんの提唱する、“お賽銭箱に一万円札をポイっと入れる”という、クレイジーなお金脳トレーニング。(私的解釈)

心屋さん曰く「自己犠牲精神が強い人は要注意」

 

何も考えてなかった。

「あ、これ、○○寺に行った時に入れよう」とナチュラルに思った。

実際何の抵抗もなく入れた。

あの時の“無心”の状態を今でも覚えている。




 

ふたたび、1万円

84歳で元気なおばあちゃんは、もう25も超えた孫に、お小遣いをくれる。

年に1、2回会うだけの私に、毎回一万円札をくれる。

私にポチ袋を握らせ、両手を包みこむ。

「になちゃん、頑張るんだよ」

「ああ、かわいい。かわいいなぁ」

「になちゃん、来てくれてありがとうなぁ」

そう言ってしばらく私といたがる。

祖母とはこういうものだと思ってた。

 

今、目の前に、今日もらった一万円札がある。

そういえば前回は神社ミッションに使ったな…

と、思い出した瞬間血の気が引いた。

書きながらも背中がひやりとする。

 

『なんでこんな大金、賽銭箱に入れたんだろう……』

 

何を考えていたんだろう、あの時の自分は。

おばあちゃんの大事な1万円。

収入額は知らない。

どんな気持ちかも考えなかった。

 

今まで何も考えずにもらってた。

会社を辞めた今、1万円の重みに少し震える。

多分もう

神社の賽銭箱に一万円札を入れることはない。

 

いま考える『1万円ミッション』

賽銭箱に無心で入れたあの時。

肩の荷が下りていたように思う。

私は昔から出掛けて遊ばない人間だった。

家で読書やネットができれば満足していた。

特に当時は、仲の良い友達は遠方、恋人は不要。

大学でやっていたスポーツもやめていて、楽しみは平日夜と休日のネットサーフィン。

奨学金返済と、大きな買い物をした後のローンがあったので、それでも収支ぴったりなくらい。

 

だからか、社会人にもなって【お金の遣い方】を知らなかった。

 

おばあちゃんから貰う1万円をどうしたらいいか、無意識に悩んでいたのかもしれない。

多分私という人間にとっての、その悩みの臨界点が、神社ミッションの時だった。

賽銭箱に入れる瞬間はとても清々しかったんだ。

それ以降も全く思い出すことはなかった。

 

今、目の前の一万円札を見て素直に思うのは

『くっそー…とっておけばよかった…』

ということ。

 

でもその過去があるから、臨時収入1万円を “ちゃんと” 惜しいと思える自分がいる。

できるだけ愛情込めて遣いたいと思う。

 

自分がお金の遣い方を知らないとは思わなかった。

気付けてよかった。

 

おばあちゃんがどれだけ私のことを愛しているか分かった気がする。

いなくなる前に気付けてよかった。

 

おばあちゃん、察しの悪い孫でごめん。

おばあちゃんって、すごいね。

 

神社ミッション(1万円ミッション)は、する人次第で良いところも悪いところもある。

少なくとも、なんでも鵜呑みにしたり、なんでも自分が負えばいいと思っている人は慎重にした方がいい。

他人からしたら

「なんではじめから気付けないの?」

ってところだろう。

それが私だから……としか返せないが。

 




 

なぜ公開したのか

はい、メモの記録は以上です。

キラキラ起業家みたいなポエムで二重に恥ずかしいわ。

 

それでも公開したのには理由があります。

私はマダム・ユキさんのブログの読者でして、毎回納得しながら読んでいます。

「書かなきゃ前に進めない」という内容の記事を読んでからずっと、「自分も書きたい」「吐き出してしまいたい」という思いがあったのですが、

こんな馬鹿な過去をさらすなんて恥ずかしい

と躊躇していました。

【心屋】に関わっていたこと、ではなくて、何かに傾倒し思考停止状態になっていた事実を直視したくなかった。

ユキさんの記事を読んでけっこう経つのに、「書いてしまいたい」「でも恥ずかしい」の狭間で、まるで洗濯機の中で回っている洗濯物みたいにグチャグチャでしたが、これで

書いて良かった

と思えるよう努力していけそうです。

何かに対して思考停止の盲目信者になってしまう人が、少しでも減ればいいなぁ。

 

 

今も信者で、この記事に反発したい方へ。

 

この記事を読んだからといって肯定しろなんて言わない。

これを読んでどう思い、どう行動しようが君の自由だ。

ただ、僕はもう君と同じ考えになることはない。

それでもよければ行動すればいい。

(ぢんさんチックに言ってみました)







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